茨城県潮来市にある島崎城。
常陸大掾氏の庶流の行方氏の一族、島崎氏の居城です。
鎌倉時代に行方宗幹の次男である高幹が島崎氏を名乗り、応永年間(1394~1426年)十一代成幹の時に築城されたと云われています。
1522年に十四代忠幹は長山城の長山幹綱を攻め滅ぼし、1523年には鹿島氏の鹿島城を攻め、1537年には玉造宗幹を攻めました。
行方、鹿島両郡を収め、4万5千石を領する国人領主となりますが、佐竹氏従うようになります。
1584年の沼尻合戦では佐竹氏側として参戦します。
1590年の豊臣秀吉による小田原征伐後に佐竹氏は常陸一国安著され、1591年に佐竹義宣は行方、鹿島、手賀、島崎等の知行割を行うとして居城太田城に島崎義幹、徳一丸父子など15名を招き、酒宴が行われる中、惨殺してしまいます。
その後、佐竹氏は軍を派遣し城主不在の島崎城などの南方三十三館を攻め落とします。
以後、島崎城は廃城となります。
現在城跡は市指定史跡となり、主郭や馬出曲輪などの曲輪群や空堀、土塁、虎口跡等が残され見どころをなっています。
島崎城・基本情報、アクセス
所在地:〒311‐2434 茨城県潮来市島須530
城 主:島崎氏
形 式:平山城
文化財史跡:市指定史跡
日本100名城スタンプ:該当なし
島崎城・御城印

島崎城 御城印 1枚300円
島崎城の御城印が販売されています。
島崎城から西へ1.5㎞程の所にある「フラワーショップやまぐち本店」で1枚300円で購入する事が出来ます。
絵柄が複数あるので、好きなものを選ぶことが出来ます。
【フラワーショップやまぐち】
所在地:〒311‐2436 茨城県潮来市牛掘59
営業時間:8:00~19:00
休業日:ー
電話番号:0299-64-5765
島崎城・駐車場

島崎城の南西側に「島崎城跡専用駐車場」があります。
15台程停められる広さの無料駐車場です。トイレは駐車場内にあります。
島崎城・縄張り図

島崎城は北側に北浦、西側に霞ケ浦、南側に利根川が流れる湿地帯に築かれた平山城です。
台地状の先端部に主郭である一の曲輪、馬出曲輪を挟んで二の曲輪、大きな空堀の先に三の曲輪が連なっています。
城西側に大手口があり、当時は水堀が築かれ先に越前屋敷や古屋曲輪、坊主屋敷などの曲輪が配置されています。
島崎城・登城口

駐車場に島崎城の登城口があります。
登城口には島崎城のパンフレットが設置されているので、ありがたいです。
この場所以外にも西側に大手口(大手門跡)から、登城する事も出来ます。
島崎城・一の曲輪
一の曲輪内部(御札神社)

島崎城の東端に一の曲輪があります。
一の曲輪は主郭(本丸)に当たる曲輪で、虎口の土塁はお鐘の台と呼ばれ城内の時や合図を知らせていました。
現在一の曲輪には御札神社が建立されていて、島崎長国が鹿島神宮の御札を身に着けて戦った所無傷で勝利した事から、御札を祀った事に始まります。
虎口跡

一の曲輪の北側に虎口跡があります。
虎口の両側には土塁が残されていて、向かい側にある馬出曲輪との間に築かれている為、空堀に面しています。
島崎城・馬出曲輪
馬出曲輪内部

一の曲輪の北側に馬出曲輪があります。
馬出曲輪は比較的小さな曲輪で、一の曲輪に迫る敵を迎撃出来る様になっています。
現在でも外周部には土塁が残されています。
土橋

馬出曲輪と二の曲輪の間には土橋があります。
土橋は幅が80㎝程で、西側は空堀、東側は崖となっていて、人が一人渡れるようになっています。
馬出曲輪と二の曲輪を繋ぐ土橋は良好に残されていて、空堀の迫力が感じられて見どころです。
島崎城・水の手曲輪
水の手曲輪内部

一の曲輪の北側下部に水の手曲輪があります。
東二の曲輪と西二の曲輪の間の鞍部を平場にしていて、一の曲輪との間には大きな空堀が築かれています。
大手口から一の曲輪へ行くにはこの水の手曲輪や帯曲輪を通らなければ行けず、両側は西二の曲輪と東二の曲輪に挟まれる形となっています。
大井戸

水の手曲輪の西側には大井戸があります。
大井戸は島崎城内の水源であったと思われ、落城時に黄金の鳥を投げ入れたという伝説があります。
空堀

水の手曲輪と一の曲輪の間には空堀が築かれています。
空堀は深さが5~8m、幅が10m程あり、一の曲輪側は切り立った垂直な崖となっています。
水の手曲輪と一の曲輪の間の空堀は規模が大きく迫力があり、見どころです。
島崎城・西二の曲輪
桝形虎口跡

西二の曲輪の入口は桝形虎口となっています。
西二の曲輪は水の手曲輪に桝形虎口があり、直進した後右に折れる通路となっています。
戦時には埋めて立てて無くしてしまう、埋門形式であったと云われています。
西二の曲輪内部

西二の曲輪は一の曲輪の北西に位置しています。
西二の曲輪は東西35m、南北50m程の広さの曲輪で、桝形虎口からしか入る事が出来ず、独立性の高い曲輪となっています。
景色

西二の曲輪の西側は視界が開けていて、景色が良いです。
現在は一面に田畑が広がっていている様子が見えますが、当時は湿地帯であったと思われます。
島崎城・東二の曲輪
空堀

東二の曲輪と馬出曲輪の間には空堀が築かれています。
空堀の深さは7~8m程はあるかと思われ、曲線を描いていて現在でも良好に残されています。
端部には馬出曲輪と東二の曲輪を繋ぐ土橋があります。
八幡台

東二の曲輪は馬出曲輪の北側にある曲輪です。
東二の曲輪は一の曲輪と同等規模の大きな曲輪で、大手口から攻めて敵が主郭へ向かう途中に通る際に横矢が掛けられるようになっています。
西側端部の土塁上には八幡台と呼ばれる場所があります。
空堀

東二の曲輪の北西側は二重の空堀が築かれています。
空堀の間には物見台と呼ばれる土塁を築く事で、二重の空堀と物見の機能を持っています。

空堀は深さが20m、幅は30m程もあり大規模となっています。
当時は物見台と東二の曲輪を繋ぐ橋が架けられていたとも考えられています。
東二の曲輪と物見台の間の空堀は迫力満点で、見どころです。
島崎城・坊主屋敷

坊主屋敷は東二の曲輪の西側にある曲輪です。
緩やかな傾斜地となっていて、大手口から登って来た敵を迎撃する事が出来ます。
島崎城・三の曲輪
三の曲輪内部

島崎城の北側に三の曲輪があります。
三の曲輪は島崎城で最も大きい面積の曲輪で、城内の物資を保管する場所となっていました。
また、訓練を行った場所でもあると考えられています。
土塁

三の曲輪北側には土塁が残されています。
現在土塁の高さは1~2m程ですが、全長207mもある長大なものとなっています。
大堀

三の曲輪の北側には大堀が築かれています。
大堀は深さが10m、幅も10m程で三の曲輪北側全面に築かれていて、島崎城最大級の規模となっています。
途中には両側が切岸によりほぼ垂直に切り立った場所もあり圧巻です。
大堀は深さ、幅、全長全てで規模が大きく、見応えがあり見どころです。
島崎城・大手口
表門跡

島崎城の西側に大手口があります。
大手口は現在遺構はありませんが、当時は表門が建てられていたと思われます。
水堀跡

表門の近くには水堀跡があります。
当時は島崎城の西、南、東側に渡り水堀が築かれていて、敵の侵入を防いでいました。
表門の先には越前屋敷や隼人屋敷、古屋曲輪などの城主や家臣団の屋敷であったと考えられています。
まとめ

【島崎城の見どころ】
・東二の曲輪と物見台の間の深さ20m、幅30mの空堀
・三の曲輪北側の島崎城最大級の長大で大規模な大堀
・馬出曲輪と東二の曲輪を繋ぐ土橋と空堀
・一の曲輪と水の手曲輪の間の切り立った空堀

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