長崎県島原市にある武家屋敷(島田邸、篠塚邸、山本邸)。
島原城主の松倉重政が島原城を築城した際に、島原城の北西側に下士を住む武家屋敷がつくられました。
屋敷と屋敷の境に塀が無く隣の奥まで見える事が、鉄砲の筒の中を覗いているような事から鉄砲町と呼ばれています。
お城に近い所から下ノ丁、中ノ丁、古丁とあり松倉氏時代に造られました。更に下新丁、上新丁、新建、江戸丁、新屋敷が配置され、いずれも長さ400m程の町となっています。
武家屋敷には杉谷、水野権現(温泉熊野神社)から引いた水路が通り、石垣、屋敷が残され城下町の雰囲気を感じる事が出来ます。
島原武家屋敷・基本情報、アクセス
島原武家屋敷・駐車場
武家屋敷の北側に「島原武家屋敷観光客専用駐車場」があります。
20台程停められる広さの無料駐車場です。トイレも完備しています。
島原武家屋敷・見どころ
武家屋敷通り
武家屋敷通りの両側には石垣が積まれ、中央には水路が流れています。
当時の水路は飲み水としても利用され、水奉行が置かれて管理されていました。
石垣は1775年頃のものを整備してあり、江戸時代の城下町を体感する事が出来ます。
武家屋敷 島田邸
武家屋敷の南側に島田邸があります。
島田家は藩主松平家に古くから仕えた家柄で、藩主の転封に伴い三河国吉田、丹波国福知山、そしてこの島原に移りました。
幕末には7石2人扶持を受け、材木奉行や船津往来番などの重職に就きました。
武家屋敷 篠塚邸
武家屋敷のやや北側に篠塚邸があります。
篠塚家は三河国深溝の出身で藩主の松平氏に従い、丹波福知山、この島原に移りました。
明治時代までに8石から13石2人扶持となり、郡方祐筆や代官を務めました。
武家屋敷 山本邸
武家屋敷の北側に山本邸があります。
山本家の初代佐五佐衛門は吉田城主忠利に仕え、1749年に宇都宮、1774年に島原に移りました。
五代茂親氏は一刀流免許皆伝、萩野流鉄砲術師範、大銃術免許皆伝を得て、重職を務めました。
水神祠
武家屋敷には水神祠があります。
1616年に松倉重政が島原城の築城に取り掛かりますが、多くの死傷者が出たり、堀を彫ると湧水が湧き難航しました。
領内の三会村にあった水神祠を城内に移し、工事の無事を祈った事により1624年に築城が完了しました。
築城完了後も領内の水の守護の為、祈祷が続けられました。
まとめ
【島原武家屋敷の見どころ】
・両側に石垣が積まれ、中央に水路が通る城下町を感じる事が出来る武家屋敷通り
・中級武士の暮らしぶりを見る事が出来る島田邸
・祐筆や代官を務めた家柄の邸宅を見る事が出来る篠塚邸
・代々重職を務め明治時代に建てられた邸宅が残る山本邸
ウェブサイト:武家屋敷/観光TOP/島原市
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