三重県鈴鹿市にある神戸城。
天文年間(1532~1555年)に神戸具盛が築城しました。
七代神戸友盛の時に織田信長の侵行により、信長の三男である信孝を養子に迎えて和睦しました。
1580年に神戸(織田)信孝は金箔瓦を用いた五重の天守を築きました。
しかし、神戸信孝は本能寺の変後岐阜城に入り、秀吉と対立した事で知多半島で自刃しました。
1595年に天守は桑名城に移され、遺構天守が築かれる事はありませんでした。
江戸時代は一柳氏、石川氏三代を経て1732年に本田忠統が城主となり、以後明治維新まで本田氏が代々城主となります。
現在では城跡は神戸公園となっておりますが、本丸には野面積みの天守台、土塁などが残され見どころとなっています。
また、市内の蓮花寺には二の丸太鼓櫓、四日市市の顕正寺には大手門が移築され現存しています。
神戸城・基本情報、アクセス
所在地:〒513‐0801 三重県鈴鹿市神戸五丁目10
城 主:神戸氏、一柳氏、石川氏、本田氏
形 式:平城
文化財史跡:県指定史跡
日本100名城スタンプ:該当なし
神戸城・駐車場
神戸城の北側に神戸公園駐車場があります。
10台ほど止められる無料駐車場です。トイレも完備しています。
この駐車場行くまでの道が狭く複雑な為、注意が必要です。
神戸城・縄張り図
神戸城は鈴鹿市の中心に位置する平城です。
本丸を中心に北東に二の丸、本丸と二の丸を囲うように三の丸が配置された梯郭式となっています。
それぞれの虎口は横矢が掛けられるように工夫されている事が分かります。
神戸城・本丸
石碑
駐車場から歩いて直ぐの所に本丸があります。
現在の神戸城は本丸のみが残されており、二の丸には三重県立神戸高等学校が建てられています。
入り口の所に神戸城の縄張り図付きの説明板が設置されています。
天守台
本丸の北西側に天守台が残されています。
天守台は高さが5~6mあり、自然の石を使用した野面積みの石垣となっています。
荒々しく積まれた天守台は迫力があり、神戸城一番の見どころです。
神戸信孝の時に天守台には五重六階の天守が築かれ、北東に小天守、南西に付櫓がある複合連結式のであったと考えられています。
しかし、1595年に天守は解体され桑名城に三重櫓として移築され、神戸櫓と呼ばれ利用されました。
天守台が大きく当時は豪壮な天守群がそびえていたのだろうなぁと、想像を掻き立てられます。
天守台には石段が設けられています。
石段を登ると天守台より一段低い場所に小さな空間があり、この場所が小天守があった場所と思われます。
天守台の上には現在四阿と石碑が建てられています。
天守台からは本丸を一望することができますが、転落防止の柵がないので注意が必要です。
土塁
本丸の西側には土塁が残されています。
土塁は高さが3~4m程あり、本丸西側一面に渡り築かれています。
土塁は良好に残されており、神戸城の貴重な遺構です。
水堀
本丸の西と北側には水堀の跡があります。
水堀は当時のまま残されているというよりは、近代に改変されたような印象を受けます。
しかし、本丸を水堀越しに見るとお城の雰囲気を感じることができます。
神戸城・太鼓櫓(市指定文化財)
神戸城から南東に2㎞ほど離れた場所に蓮花寺があり、神戸城の二の丸太鼓櫓が移築されています。
明治8~9年の城郭解体の際にこの蓮花寺に移築され、鐘楼として利用されています。
太鼓櫓なので上部は連子窓となっていて、音が良く聞こえるようになっています。
太鼓櫓が建てられた年代はハッキリとは分かっていませんが、本多忠統が築城した1784年江戸時代後期と考えられています。
太鼓櫓は神戸城の現存する貴重な城郭建造物で、見どころです。
少し距離が遠いですが、四日市市の顕正寺には大手門が移築現存しているので、時間があれば見ておきたいものです。
まとめ
神戸城は本丸の野面積みの天守台が見どころです。
蓮花寺には二の丸太鼓櫓、顕正寺には大手門が移築され神戸城の貴重な城郭建築物が残され、当時の様子を見ることができるので、良いお城です。
神戸城ウェブサイト
https://www.kankomie.or.jp/spot/detail_2868.html
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