愛知県安城市にある安祥城(安城城)。
1440年に三河国碧海郡を支配していた、和田親平が居館を構えたことが始まりです。
1471年に岩津城の松平信光が謀略を用いて奪取し、以後松平氏4代(親忠、長忠、信忠、清康)の居城となります。
1524年に松平清康が岡崎城に本拠を移すと、安祥城には城代が置かれました。
1540年に織田信秀が安祥城を奪うと織田信広が城代となりますが、1549年に今川軍の攻撃により落城し、信広は捕らわれます。
織田信広は織田方の人質となっていた竹千代(後の徳川家康)と人質交換がされます。
1560年に桶狭間の戦いで西三河から今川家が撤退すると、安祥城は廃城となります。
現在では安祥城址公園として整備され本丸には大乗寺、本丸横に安城市歴史博物館、二の丸には八幡社が建てられていて見どころです。
安祥城・基本情報、アクセス
所在地:〒446‐0026 愛知県安城市安城町赤塚1
城 主:和田氏、松平氏、織田氏、今川氏
形 式:平山城
文化財史跡:市指定史跡
日本100名城スタンプ:該当なし
安祥城・駐車場
安祥城の西側に「安城市歴史博物館 駐車場」があります。
200台程停められる広さの無料駐車場です。トイレは公園内や博物館内にあります。
安祥城・御城印
安祥城 御城印 1枚330円
安祥城の御城印が販売されています。
「安城市歴史博物館」の受付で1枚330円で購入する事ができます。
「安城市歴史博物館」では安城の古代~近代の歴史はもちろん、安祥城に関する資料も多数展示されています。
博物館の横にはカフェもあるので一休みする事もできます。
【安城市歴史博物館】
所在地:〒446‐0026 愛知県安城市安城町城堀30
開館時間:9:00~17:00(入館は16:30まで)
入館料:常設展 一般200円・中学生以下無料
休館日:月曜日(祝日は開館)・年末年始(12月28日~1月4日)
ウェブサイト:安城市歴史博物館
安祥城・縄張り図
安祥城は舌状台地の先端に築かれ、周囲は森や深田に囲まれていました。
本丸は周囲に土塁と堀で囲まれ南側には櫓が築かれていたと考えられます。
堀を挟んだ南西に二の丸、本丸の北側の小さな郭にも櫓が築かれていたと思われます。
安祥城・二の丸
東尾八幡社
二の丸には東尾八幡社が建立されています。
二の丸は周囲より一段高くなっており、当時は周囲に土塁や堀が築かれていました。
八幡社は松平親忠が安祥城内に創建し、鎮守の神として崇めました。応神天皇をご祭神としています。
堀跡
当時の本丸と二の丸の間には堀が築かれていました。
堀は複数の区画に分かれた障子堀であったと云われています。
現在は通路や水路となっていますが、安祥城に北条家が得意とする障子堀はあったとは驚きです。
安祥城・本丸
大乗寺・楼門
本丸には大乗寺があります。
大乗寺は松平親忠が城の鬼門除けとして了雲院を開創し、1792年に安祥城跡に了雲院大乗寺が移転されました。
宗派は浄土宗、ご本尊は阿弥陀如来です。
入口には楼門が建てられています。
「安祥山」と書かれた扁額が掲げられていて、屋根は瓦葺き、柱には彫刻が彫られ、立派な楼門となっています。
楼門はお城の遺構ではないですが、安祥城の見どころです。
大乗寺・本堂
境内の中心には本堂があります。
本堂は瓦葺きの大きな屋根が特徴的で、葵の御紋の幕がかけられているのが良いです。
本堂のあるこの場所が安祥城の本丸であったと思われます。
本多忠高墓碑
大乗寺の東側に本多忠高墓碑があります。
本多忠高は本多忠勝の父です。1549年に太原雪斎を総大将とする今川、松平軍は織田方に奪われていた安祥城を攻撃しました。
本多忠高は先方と務め本丸深くまで迫りますが、この場所で敵の矢に当たり戦死してしまいます。
本多忠高の忠義と功績を伝える為にこの墓碑が立てられています。
まとめ
安祥城は本丸跡に建つ大乗寺の楼門が見どころです。
本丸横にある「安城市歴史博物館」では安祥城や松平氏に関する資料が多数展示されているので、必見です。
安祥城ウェブサイト:安城市 安祥城址
コメント