奈良県天理市にある龍王山城(南城)。
標高586mの龍王山に築かれた山城です。
大きく北城と南城に分かれ、大和国では信貴山城に次ぐ大規模な城郭となっています。
天文年間(1532~1554年)には、十市遠忠が城主として橿原市の十市周辺を統治していました。
1559年に松永久秀が大和国に入ると、十市氏は筒井氏と共に松永氏に対抗しますが降伏し、龍王山城は松永久秀が領有する事になります。
1577年に松永久秀は織田信長に対して謀反を起こしますが敗れ、1578年に織田信長の命により龍王山城は廃城となります。
現在南城の城跡には、石段や堀切、曲輪跡、本丸からの景色、曲輪跡などが残され見どころとなっています。
龍王山城(南城)・基本情報、アクセス
所在地:〒632‐0073 奈良県天理市田町
城 主:十市氏
形 式:山城
文化財史跡:ー
日本100名城スタンプ:該当なし
龍王山城(南城)・駐車場

龍王山城(南城)に専用駐車場はありません。
しかし、南城の登山口横に1台程停められるスペースがあります。

龍王山城(北城)の500m程南に進んで行った所に、公衆トイレがあります。
この横に1台程停められるスペースもあります。
龍王山城・縄張り図

龍王山城(南城)は標高585mに本丸があり、北城より高い場所に位置しています。
本丸の東側に弥七丸と云う曲輪、西側に数段の曲輪が連なる連郭式の山城となっています。
要所に曲輪の間に堀切があり、南側には横堀のような遺構もあります。
龍王山城(南城)・登山口
登山口

龍王山の公衆トイレから北東へ200m行った場所に登山口があります。
龍王山城の説明板が目印で、登山口から本丸までは10~15分程で行くことが出来ます。
登山道

龍王山城(南城)の登山道は本丸までの道は整備されています。
本丸から先の東側はやや整備されている感じの道となっています。
登山道途中の開けた場所からは眺望が良いです。
龍王山城(南城)・西側の曲輪
堀切

しばらく登ると分かれ道があります。
左の階段は本丸へ行く道で、右の道は龍王社、本丸東側へ行く道となっています。
右側の道は曲輪と曲輪の間に築かれた、堀切跡を利用していると思われます。
石段

本丸の西側には3段の曲輪が築かれています。
2段目の曲輪の先には石段が6段程の石段が築かれていて、当時の遺構であると云われています。
西側曲輪の石段は龍王山(南城)の貴重な遺構で見どころです。
西側の曲輪

西側の3段の曲輪は尾根上に築かれたもので、細長い中世山城の典型的な連郭式となっています。
礎石のようなものが地面にありますが、流石に幅が狭いので違うのかも知れません。
石段

本丸の手前にも石段が築かれています。
こちらの石段は8段程あり、右に折れているのが特徴的です。
龍王山城(南城)・本丸
本丸内部

本丸は龍王山城で最も標高が高い場所にあります。
山頂にはベンチが設置されていて休憩が出来るスペースとなっています。
景色

本丸の南西側は視界が開けていて景色を楽しむ事が出来ます。
龍王山山頂から奈良盆地を一望する事ができ、信貴山や生駒山、金剛山を見る事が出来ます。
龍王山は柿本人麻呂も歌を詠んだ場所で、本丸から見える景色は奈良を一望できて見どころです。
堀切

本丸と弥七丸の間には堀切が築かれています。
堀切の深さは5~6m程あり、尾根上から迫る敵を防いでいます。
本丸と弥七丸の間の堀切は良好に残されていて、急峻で迫力があり見どころです。
龍王山城(南城)・弥七丸
曲輪内部

本丸の東側には弥七丸と云う曲輪があります。
弥七丸の名前の由来は分かりませんが、本丸に次ぐ大きな曲輪となっています。
堀切

弥七丸の東側にも堀切が築かれています。
深さは西側の堀切と同等ですが、斜面は緩やかで上辺の幅が広くなっています。
この堀切の東側にも曲輪があり、龍王山城(南城)の最東端の曲輪となっています。
まとめ

【龍王山城(南城)の見どころ】
・本丸西側の曲輪に残されている当時の貴重な石段
・本丸から奈良盆地や信貴山、生駒山、金剛山などを見渡す事が出来る眺望
・本丸と弥七丸の間の急峻で岩が剥き出しの堀切
ウェブサイト:龍王山城跡|天理観光ガイド・天理市観光協会

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