和歌山県新宮市にある新宮城。
平安時代末期に源為義と熊野別当の娘の子である丹鶴姫の住まいがあり、丹鶴城と呼ばれていました。
戦国時代には新宮市千穂にこの地を治めた堀内氏の居城がありました。
現在残る新宮城は、1601年に紀州藩主浅野幸長の重臣である浅野忠吉が築城したものになります。
1615年の一国一城令により廃城となりますが、1618年に築城が認められると築城を再開しました。
1619年に浅野氏は備後三原城に転封となり、徳川頼宣が入国し重臣の水野重仲が城主となりました。
水野氏の居城として明治維新を迎え、1873年の廃城令により天守などの建物は払下げられました。
現在でも熊野川河口の丹鶴山の山頂部に城跡があり、本丸の天守台、大手虎口、搦手虎口、出丸、水の手の石垣が良好に残され見どころです。
新宮城・駐車場
新宮城の南側に丹鶴城公園駐車場があります。
5~6台程停められる無料駐車場です。トイレは公園内にあります。
新宮城・御城印
新宮城 御城印 1枚300円
新宮城の御城印が販売されています。
阿須賀神社の社務所(新宮市立歴史民俗資料館の横)で1枚300円で購入する事ができます。
資料館では続日本100名城のスタンプが設置されていて、新宮城に関する資料も展示されています。
スタンプを押すだけなら入館料は必要ありません。
【新宮市歴史民俗資料館】
新宮城・縄張り図
新宮城は熊野川河口の小高い丘に築城されています。
本丸を東に置き、北側に出丸、西側に鐘の丸、松の丸とコの字型に郭が連なっています。
熊野川に面する水の手郭では、炭納屋群が確認されており新宮炭の専売により、経済活動を城内で行っている特徴的なものとなっています。
新宮城・本丸
石垣
駐車場からと登城口を登って行くと、石垣が見えて来ます。
石と石の隙間がない切込み接ぎに近い位の、打込み接ぎで整然と積まれています。
石垣の上にある建物はトイレですが、お城の櫓の建物の外観となっていて、周囲に馴染んでいます。
桝形虎口(大手)
本丸に入る大手口は桝形虎口となっています。
石垣は切込み接ぎで大きな石材が使われていて、四角い空間、桝形が形成されています。
本丸大手の堂々とした桝形虎口は圧巻で、新宮城の見どころのひとつと云えます。
天守台
本丸の南側に天守台があります。
天守台は高さが7~8m程あるかと思われ、隅部はきれいな算木積みとなっています。
天守台と本丸東側面に折れながら続く石垣は圧巻の迫力で、見どころです。
搦手門
本丸の北側には搦め手口があります。
搦め手口は大手と違い狭い通路となっていて、通路の両側に迫る石垣は異様な光景となっています。
安全のためと思いますが、残念ながら虎口の中に入れないように規制されていて、この先にある出丸にも行くことはできません。
新宮城・出丸
石垣
本丸の北側に出丸があります。
出丸は本丸の北側を守る小さな郭で、石垣造りとなっています。
出丸の石垣と青緑色の熊野川の景観は壮観で、新宮城の見どころです。
出丸は現在立ち入ることができず、本丸から見る形になります。
出丸は独立した郭で、出丸に登る為の石段が造られています。
北西側の隅部が凹んでいるのが特徴的です。
新宮城・鐘の丸
桝形虎口
本丸の西側に鐘の丸があります。
鐘の丸は本丸に次ぐ大きな郭で、西側には鐘の丸に入る為の桝形虎口が築かれています。
桝形虎口はほとんど隙間の無い石垣が積まれていて、威圧感があります。
新宮城・松の丸
石垣
鐘の丸の西側、新宮城の一番西側に松の丸があります。
松の丸には大手道が繋がっていて、新宮城の主要部に入る為の最初の郭となっています。
大手道からは松の丸や鐘の丸の石垣群を見る事ができ、見どころです。
桝形虎口
松の丸の虎口も桝形虎口となっています。
大手道に繋がっている虎口なので、こちらも堂々とした石垣造りとなっています。
新宮城は桝形虎口が徹底されていて、大変強固な城郭と云った印象を受けます。
新宮城・水の手
郭内部
新宮城の北側の熊野川に面する所に水の手があります。
水の手では発掘調査が行われ、多数の礎石柱建物跡が発見されました。
床面には炭の粉が堆積していた事から炭納屋が多数あったとされ、新宮炭の専売が行われていたと考えられています。
水の手は近世城郭の経済的な側面を残す貴重な郭跡となっています。
まとめ
新宮城は本丸の桝形虎口、天守台、出丸、大手道から見える松の丸、鐘の丸の石垣群が見どころです。
特に出丸の石垣と熊野川を一望する景色は、新宮城の特徴的な景観となっていて良いです。
水の手の炭納屋跡は新宮城主水野氏の経済的な活動の痕跡となっていて、こちらも特徴的なものとなっています。
新宮城のウェブサイト:新宮市観光協会
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