采女城の駐車場や見どころ(一の郭、二の郭の空堀など)を紹介!

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お城

三重県四日市市にある采女城(うねめじょう)。

1260年に後藤基秀が三重郡の地頭職となり、采女山に築城しました。

采女城は標高50~70mの広陵地形の尾根筋に築かれ、南側には内部川と支流の足見川に守られた要害です。

1568年に織田信長の家臣である滝川一益が六千余人の兵を率いて采女城の北方より民家に火を放ち、頃合いを見図り四方より攻め立てました。

城内には五百余人の守兵が奮戦しましたが、城主の後藤采女正藤勝は燃え盛る城内で自刃しました。

奥方と千奈美姫は深井戸に身を投げて亡くなり、後世の人々により深井戸から夜な夜な女のすすり泣く声が聞こえると云い伝えられています。

現在でも丘陵尾根に九つの郭があり、一の郭と二の郭の空堀、二の郭と三の郭の空堀、一の郭の虎口跡、二の郭の土塁などが残され見どころとなっています。

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采女城・基本情報、アクセス

所在地:〒510‐0954 三重県四日市市采女町

城 主:後藤氏

形 式:平山城

文化財史跡:なし

日本100名城スタンプ:該当なし

采女城・駐車場

南部丘陵公園南ゾーン駐車場

采女城の北側に南部丘陵公園の南ゾーン駐車場があります。

30台程止められる広さの無料駐車場で、トイレも公園内にあります。

ここから采女城の登城口は歩いて12~13分ほど掛かります。

公園内から采女城に行けるようですが、案内板がなく迷ってしまいます。

采女城西側の住宅街を通って采女城南側の登城口に行くのが無難です。

登城口の駐車スペース

采女城の南側に登城口があり、登城口の横に車1台分止められるスペースがあります。

こちらはきちんとした駐車場ではないので、自己責任でお願いします。

采女城をゆっくり見学する場合は南部丘陵公園の駐車場を利用するのがオススメです。

采女城・縄張り図

采女城の縄張り図(現地案内板より)

采女城は標高50~70mの丘陵地にあり、3方向に延びる尾根に9つの郭が築かれています。

郭と郭の間は空堀や堀切で分断されていて、防備を強めています。

城の南側には内部川と支流の足見川が流れ天然の堀としていて、自然の要害となっています。

采女城・登城口

冠木門

登城口に復元された冠木門

采女城の南側に登城口があります。

登城口には冠木門が復元され、采女城の石碑や説明板、案内板が設置されています。

縄張り図が木の柵で隠れてしまっていますが、登城道の先にパンフレットが設置されているので安心です。

登城道

登城道にあるパンフレット置き場

登城口を登ってすぐの場所に四日市市市民緑地の看板と、采女城のパンフレットが入っているポストがあります。

パンフレットに縄張り図が掲載されているので、見学に必須です。

登城口から一の郭までは、歩いて10~15分程で行くことができます。

采女城・八の郭

堀切

一の郭と八の郭の間の堀切

登城道を登って行くと右手に八の郭があります。

八の郭と一の郭の間には堀切が築かれていて、尾根が分断されています。

堀切の深さは3~4m程あり、一の郭側はもっと高さがあります。

堀切は良好に残されていて、采女城の見どころのひとつとなっています。

郭内部

尾根の先端に築かれた八の郭内部

八の郭は一の郭から南に延びる尾根の先端部に築かれています。

八の郭の内部はやや木が鬱蒼としていますが、郭の中央部分は草が刈られています。

采女城・五の郭

虎口跡

右に折れる五の郭の虎口

一の郭の南西に五の郭があり、五の郭の西側に虎口跡が残されています。

虎口は斜面を掘削して造られていて、右に折れる形となっています。

虎口に迫る敵を五の郭から側面、背面攻撃できるように工夫されていて、見どころです。

郭内部

一の郭と六の郭の間にある五の郭内部

五の郭は一の郭と六の郭の間に位置しています。

五の郭は一の郭から南西に延びる尾根に築かれていて、五の郭の先には六の郭と七の郭が築かれています。

残念ながらロープが張ってあり、五の郭の中には入る事ができません。

采女城・一の郭

空堀(南側)

一の郭と五の郭の間の空堀

一の郭と五の郭の間には空堀が築かれています。

空堀は深さが5~6m、幅が7~8m程あり、大きなものとなっています。

空堀は一の郭に接しているだけあり、力を入れて築かれていることが分かり見どころです。

虎口跡

一の郭の南側に築かれた右に折れる虎口

空堀を渡ると一の郭の南側の虎口跡があります。

虎口跡は土塁で右に折れるように形成されていて、ここでも横矢が掛けられるように工夫されています。

虎口の土塁は現在1mもない位に低くなっていますが、虎口の形状が分かり見どころです。

郭内部

一の郭に立つ説明板と深井戸

一の郭には深井戸や説明板、ベンチが設置されています。

一の郭は南に延びる尾根と南西に延びる尾根の分岐点に築かれていて、采女城で最も広い郭となっています。

また、一の郭は北側に二の郭、三の郭が築かれていて、采女城の中心に位置しています。

深井戸

悲劇が伝えられている深井戸

一の郭には深井戸があります。

1568年に織田信長の家臣、滝川一益が6千の兵で采女城の北側に迫り、民家を焼き払い迫りました。

城内には5百の兵がいましたが、四方より6千の兵に攻められた為、落城してしまいます。

城主の後藤采女正藤勝は燃え盛る城内で自刃、奥方や千奈美姫は深井戸に身を投げて亡くなりました。

後世の言い伝えでは「夜な夜な女のすすり泣く声が聞こえて来る」や、「馬のいななきや女人の悲鳴が細く尾を引く」などと言い伝えられています。

土塁

一の郭の東側の土塁

一の郭の東側に土塁が残されています。

土塁は高さが2m程あり、一の郭の東側の防御力を高めてます。

土塁は良好に残されていて見どころです。

空堀(北側)

一の郭と二の郭の間の空堀

一の郭と二の郭の間には大きな空堀が築かれています。

空堀の間には一の郭と二の郭を渡る為の土橋があり、現在は簡易的な通路が設けられています。

采女城で最も大きな空堀

空堀は深さが5~6m、幅は10m以上はあるかと思われ、一の郭の北側は厳重な防御施設となっています。

一の郭北側の空堀は采女城で最も大規模なもので、迫力があり一番の見どころです。

采女城・二の郭

郭内部

二の郭の内部

一の郭の北側に二の郭があります。

二の郭は北側に三の郭、西側に四の郭に接している分岐点のような郭となっています。

土塁

二の郭の北側の土塁

二の郭の北側には土塁が築かれています。

土塁は高さが1.5~2m程あり、良好に残されています。

物見櫓跡

二の郭の北側にある物見櫓跡

二の郭の北側の土塁上には物見櫓跡があります。

土塁上に櫓を建てられる程のスペースが設けられていて、当時は物見櫓が建てられていたようです。

物見櫓からは西に四の郭、北に三の郭、南に一の郭があるので、確かに櫓を建てるには良い位置にあると思います。

空堀(北側)

二の郭と三の郭の間の空堀

二の郭と三の郭の間には空堀が築かれています。

こちらも空堀の間に土橋が築かれ、現在では簡易的な通路が設けれています。

二の郭北側の空堀

二の郭北側の空堀は一の郭北側よりはやや小さいものとなっています。

それでも空堀の深さは4~5m、幅は7~8m程あり、規模が大きく見どころです。

采女城・三の郭

郭内部

三の郭の内部

二の郭の北側に三の郭があります。

三の郭が采女城で最も標高が高く、一番北側に位置する郭となっています。

土塁

三の郭の土塁

三の郭の外周部にも土塁が築かれています。

土塁は高さが1~1.5m程あり、比較的良好に残されています。

堀切

三の郭北側の堀切

三の郭の北側には堀切が築かれています。

堀切は三の郭の土塁の頂部からは深さは3~4m程あり、采女城の北側の防備を担っています。

見逃しがちな場所なので、要チェックです。

采女城・四の郭

空堀

三の郭と四の郭の間の空堀

三の郭(二の郭)と四の郭の間には空堀が築かれています。

空堀は深さが4~5m程あり、良好に残されていて見どころとなっています。

郭内部

四の郭の内部

四の郭は三の郭から西に延びる尾根に築かれています。

四の郭の更に西には九の郭が築かれています。

土塁

四の郭の土塁

四の郭の外周部にも土塁が築かれています。

土塁は高さが1~1.5m程あり、比較的良好に残されています。

まとめ

一の郭北側の空堀

采女城は一の郭と二の郭の空堀、二の郭と三の郭の空堀、一の郭南側の虎口跡、五の郭の虎口跡などが見どころです。

丘陵地の3つの尾根上に築かれた9つの郭が良好に残されていて(一部見学不可)、見学通路や案内板も多数設置されているので、見学しやすいお城です。

采女城ウェブサイト

四日市観光協会
四日市観光協会では、観光マップ、市内各施設、会員企業のパンフレット等を数多く取り揃えており、伝統工芸品の萬古焼、特産品の展示・販売を行っています。

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