お城の紹介をします。
福井県敦賀市の金ヶ崎城です。
源平合戦の時に平通盛が木曽義仲との戦いに備えて、敦賀湾に面する金ヶ崎山に築城したことが始まりです。
1336年には恒良、尊良両親王を守護した新田義貞が足利軍と激しい戦いがあった場所です。
1570年に越前の朝倉義景を討伐せんとする織田信長が金ヶ崎に差し掛かった時に、近江の浅井長政が寝返ったとの報が入ります。
後の豊臣秀吉である木下藤吉郎が織田信長を逃がすために殿を務めた、金ヶ崎の退き口は有名です。
多くの英傑達が戦った金ヶ崎城には、現在でも曲輪跡や木戸跡、堀切が残され、当時の遺構を見る事ができます。
金ヶ崎城・基本情報、アクセス
所在地:福井県敦賀市金ケ崎町1
城 主:気比氏、甲斐氏、朝倉氏
形 式:山城
文化財史跡:国指定史跡
日本100名城スタンプ場所:該当無し
金ヶ崎城の南の麓には、金ヶ崎城址駐車場があります。
10台ほど駐められる無料駐車場で、トイレも完備しています。
駐車場から山道を登って行くと、金ヶ崎宮が見えて来ます。
金ヶ崎宮横の道を進むと、金ヶ崎古戦場碑がある広場に着きます。
古戦場碑の屋には古墳跡があり、更に奥には月見御殿があります。
金ヶ崎城・月見御殿
月見御殿は、金ヶ崎城の最深部で最高所にあります。
南北朝時代には本丸と呼ばれ、戦国時代には月見をしたと伝えられています。
月見御殿の背後は敦賀湾になっています。
金ヶ崎城・敦賀湾
金ヶ崎城は、敦賀湾に突き出た丘陵地に築かれたお城で、背後は絶壁となっていて、敦賀湾が広がっています。
まさに後ろ堅固なお城で、こちら側から攻め込むことはできないと思われます。
敦賀越しに見る月見は綺麗だった事でしょう。
金ヶ崎城・三の木戸跡、堀切
金ヶ崎城の北側の尾根伝いに道があり、進んで行くと三の木戸跡があります。
金ヶ崎城はハイキングコースとしても整備されているので、道が歩きやすく舗装されています。
三の木戸は、尾根を人工的に掘削する事で、敵の侵入を防ぐ堀切が築かれています。
現在は堀切のみ残されていますが、当時は木戸が設けられていたと思われます。
金ヶ崎城・焼米石出土跡
三の木戸跡を進んで行くと、やや広い広場に着きます。
ここには、焼米石出土跡があります。
戦国時代には兵糧庫があり、織田軍と朝倉軍の攻防により焼け落ちた為、焼けたお米が出土されました。
城跡には食料や茶碗、茶器などが出土する事がありますが、実際に人々がこの場所に居たことを改めて実感します。
金ヶ崎城・二の木戸跡、堀切
焼米石出土跡の先へ進むと二の木戸跡があります。
道が二手に分かれていて、真っ直ぐ行くと一の木戸跡、下り道を行くと金ヶ崎宮へと続きます。
南北朝時代には、二の木戸跡付近で激戦があったと伝えられています。
やはり木戸が設けられ虎口のような機能を持っていた為、激戦が行われたのでしょうか。
二の木戸跡の案内板を真っ直ぐ進んだ先には、堀切があります。
大規模な堀切で現在でも良好に残されていて、金ヶ崎城の見どころです。
当時はもっと深く傾斜がキツかった事でしょうから、敵の侵入を防ぐ重要な防御施設だということが分かります。
金ヶ崎城・一の木戸跡
二の木戸跡を更に先に進んでいくと、一の木戸跡があります。
南北朝時代には金ヶ崎城の第一関門として、機能していてここでも激戦がありました。
戦国時代にも、朝倉氏が利用したといわれています。
金ヶ崎城は、京都や近江から越前に行く中間地点に位置している為、南北朝時代や戦国時代に激しい攻防が行われたのでしょう。
金ヶ崎城は南北朝時代や戦国時代に、争奪戦となりターニングポイントになったお城です。
新田義貞や、織田信長、木下藤吉郎など名だたる武将がこの地で戦った事を思うと、歴史ロマンがあります。
一の木戸跡の先には手筒山城があるので、時間のある方は訪れて見てはいかがでしょうか。
また、金ヶ崎城の南には、「敦賀赤レンガ倉庫」があり、食事や敦賀の町並みを再現したジオラマがあるんでこちらもオススメです。
敦賀観光案内ウェブサイト「金ヶ崎城跡」
http://www.turuga.org/places/shiroato/shiroato.html
敦賀赤レンガ倉庫ウェブサイト
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