宮崎県日南市にある飫肥城。
南北朝時代に土持氏が築城した事に始まります。
室町時代には島津氏が伊東氏に備えて、新納忠続を入城させました。
戦国時代には島津氏と伊東氏による争奪戦が行われ、1562年に伊東氏が飫肥城を支配します。
しかし、1572年の木崎原の戦いにより伊東氏が島津氏に敗れると、1576年に島津氏が飫肥城を手に入れます。
伊東祐兵は豊臣秀吉に臣従し、1587年の九州征伐の際には先導役を務め島津氏が降伏すると、1588年に伊東氏が城主となります。
1600年の関ヶ原の戦いでは東軍に味方した為、明治維新まで飫肥藩5万1千石の領主として伊東氏が治めました。
現在城跡には、復元された大手門や松尾の丸の御殿、本丸跡の石垣、大手通りの豫章館、旧藩校辰徳堂などがあり、見どころとなっています。
飫肥城・基本情報、アクセス
所在地:〒889‐2535 宮崎県日南市飫肥10-1
城 主:新納氏、島津氏、伊東氏
形 式:平山城
文化財史跡:市指定史跡
日本100名城スタンプ:飫肥城歴史資料館
飫肥城・御城印

飫肥城 御城印 1枚300円
飫肥城の御城印が販売されています。
飫肥城観光駐車場の横にある「飫肥城観光駐車場チケット販売所」で1枚300円で購入する事が出来ます。
御城印は色が赤と紫の2種類があります。
【飫肥城観光駐車場チケット販売所】
飫肥城・駐車場

飫肥城の南側に「飫肥城観光駐車場」があります。
150台程停められる広さの無料駐車場です。トイレは駐車場横にあります。
飫肥城・縄張り図

飫肥城は酒谷川に囲まれた北側のシラス台地に築かれた、群郭式の平山城です。
城の主要部でる大手門を境に東西に空堀が築かれ、独立性の高い11の曲輪が並んでいます。
江戸時代前期に大きな地震が3度あり、1693年に本丸が一段東(現飫肥小学校)へ移されています。
飫肥城・大手道通り
豫章館(市指定文化財)

大手道通りには「豫章館」があります。
1869年に飫肥藩13代藩主の伊東祐相と、子の伊東祐帰(飫肥藩知事)が飫肥城をから出て移り住みました。
元々は一門の伊東主水の屋敷でしたが、城内の奥御殿を移築、改築しました。
飫肥城の貴重な建築物で庭園も綺麗に整備されているので、見どころです。
【豫章館】
所在地:〒889‐2535 宮崎県日南市飫肥9丁目1‐1
開館時間:9:30~17:00(最終受付16:30)
入館料:大人300円、高大200円、小中100円
休館日:12月29日~12月31日
ウェブサイト:豫章館|観光にちなんの旅 日南市観光協会
小村寿太郎記念館

大手道通りには小村寿太郎記念館があります。
小村寿太郎は飫肥で生まれ藩校振徳堂で学び、長崎留学、ハーバード大学に入学、41歳で外務次官、46歳で外務大臣になりました。
日露戦争の講和条約であるポーツマス条約の調印に尽力するなど外交官として活躍しました。
小村寿太郎の生涯が分かり易く展示されているので、飫肥城を訪れたら見ておきたい施設となっています。
【小村寿太郎記念館】
所在地:〒889‐2535 宮崎県日南市飫肥4丁目2‐20‐1
開館時間:9:00~17:00(最終受付16:30)
入館料:大人300円、高大200円、小中100円
休館日:12月29日~12月31日
ウェブサイト:小村寿太郎記念館|飫肥城下町保存会
飫肥城・本丸
大手門

大手道通りの先には大手門があります。
当時の大手門は1873年に取り壊されてしまいましたが、1978年に木造で復元されました。
櫓門形式で手前の空堀や左右の塀、石垣の中に佇む様は堂々として迫力があり、見どころです。
空堀

大手門の手前には空堀が築かれています。
空堀は飫肥城の主要部と武家屋敷、城下町の間に築かれていて、折れを伴いながら東西に延びています。
現在でも良好に残されていて、絵図と見比べると同じ場所、形となっています。
桝形虎口

大手門の先は石垣と塀により四角い桝形の空間が造られています。
大手門先の正面には狭間が切られた塀が有り直進する事は出来ず、左右と正面の塀から攻撃されるようになっています。
さすが大手門と云った感じで、飫肥城の主要部の入口なので厳重な桝形虎口となっています。

大手門に向き合う塀の部分は雁木となっていて、塀を支える石の控え柱に木製の貫きが2本組まれている様子が分かります。
周囲を石垣と狭間が切られた塀に囲まれた桝形にいると、威圧感や厳重さが感じられ見どころです。
石垣

桝形虎口の先には高さ4~5m程の石垣が東西に連なっています。
飫肥城の石垣は1686~1693年の改修時に築かれたもので、打込接ぎや切込接ぎといった工法の積み方となっています。

本丸南東部角には出隅となっていて、上には鐘楼が建てられています。
当時は櫓があったのかも知れません。この出隅により本丸の虎口に向かう敵を背後から攻撃できるようになっています。
本丸南側の石垣は高く、塀も建てられているので圧倒されます。
虎口跡

本丸の南側に虎口があります。
石垣にとりぐるっと回り込んで行くようになっていて、石段が築かれています。
本丸の西側には正門と思われる大きな虎口があり、こちらは小さな虎口となっています。
飫肥城歴史資料館

本丸には「飫肥城歴史資料館」があります。
飫肥城(飫肥藩)にゆかりの甲冑や刀剣、古文書などが多数展示されていて、飫肥城や伊東氏の事を知ることが出来ます。
受付で日本100名城のスタンプを借りる事が出来ます。
【飫肥城歴史資料館】
所在地:〒889‐2535 宮崎県日南市飫肥10丁目1‐2
開館時間:9:00~17:00(最終受付16:30)
入館料:大人300円、高大200円、小中100円
休館日:12月29日~12月31日
ウェブサイト:飫肥城歴史資料館|観光にちなんの旅 日南市観光協会
飫肥城・松尾の丸
松尾の丸御殿

松尾の丸は本丸の南西にある曲輪です。
1979年に建てられた御殿で、当時の絵図が残されていないので江戸時代初期の御殿を参考にしています。
御座の間、御寝所、涼櫓、茶室などの部屋があり、涼櫓には京都西本願寺の飛雲閣の湯殿が再現されています。
当時の工法で建てられた江戸時代初期の書院造りの御殿を見る事が出来て、見どころです。
飫肥城・旧本丸
虎口

本丸の西側に旧本丸があります。
旧本丸の東側虎口は石垣と石段により通路が折り曲げられています。

石段を登った先の平場に門の礎石らしきものがあり、当時は門が建てられていたのかも知れません。
平場の先は右に折れて両側には切込接ぎにより隙間なく積まれた石垣があり、旧本丸の厳重さが伺えます。
石段と石垣により何度も折り曲げられた旧本丸の虎口は、堅牢さが体感出来て見どころです。
旧本丸内部

旧本丸は1693年に現飫肥小学校に本丸が移されるまで、本丸として藩主の御殿がありました。
1662年、1680年、1686年の大きな地震により地割れが発生した為、現在の本丸に移されました。
現在の旧本丸は地面が苔生していて、真っすぐ延びた飫肥杉が独特な景観を形成しています。
旧本丸裏門

旧本丸の北側虎口には裏門があります。
裏門は復元されたものと思われますが、薬医門形式で両側の塀や石垣により様になっています。
飫肥城・城下町
振徳堂(市指定文化財)

飫肥城の東側に「旧藩校 振徳堂」があります。
1831年に飫肥藩13代藩主の伊東祐相が建てた藩校で、孟子の教えから振徳堂と名付けられました。
儒学者の安井滄州、息軒父子を教授として招き、幕末には小村寿太郎や飫肥西郷と云われた小倉処平を輩出しました。
旧藩校振徳堂は飫肥藩に残る貴重な歴史的建築物で、無料で見学する事が出来るので見どころです。
旧山本猪平家(市指定文化財)

飫肥城の南側に広がる城下町には、「旧山本猪平家」があります。
飫肥の実業家である山本猪平が1907年に建てた本邸で、敷地面積は1100平方メートルあります。
主屋や台所、浴室、離れ屋などがあり、ほぼ当時のまま残されていて、明治時代の商家を見る事が出来ます。
【旧山本猪平家】
所在地:〒889‐2535 宮崎県日南市飫肥5丁目2‐26
開館時間:9:30~17:00(最終入館は16:30まで)
入館料:大人300円、大学生・高校生200円、中学生・小学生100円
休館日:12月29日~12月31日
ウェブサイト:旧山本猪平家|観光にちなんの旅 日南市観光協会
商家資料館(市指定文化財)

飫肥城下町には「商家資料館」があります。
1870年に本町の商人で山林地主であった山本五平が建てたもので、木造一部二階建てで白漆喰壁の土蔵造りとなっています。
内部には江戸時代以降に商屋が使用していた道具が多数展示されていて、見応えがあります。
【商家資料館】
所在地:〒889‐2535 宮崎県日南市飫肥8丁目1‐19
開館時間:9:30~17:00(最終入館は16:30まで)
入館料:大人300円、大学生・高校生200円、中学生・小学生100円
休館日:12月29日~12月31日
ウェブサイト:商家資料館|観光にちなんの旅 日南市観光協会
まとめ

【飫肥城の見どころ】
・大手道通り先にある1987年に復元された大手門と東西に延びる空堀
・大手門の先の石垣と塀に囲まれ、横矢が意識された厳重な虎口
・大手道通りにある飫肥藩主が住んでいた豫章館と庭園
・松尾の丸の江戸時代初期の御殿が再現され、湯殿も見る事が出来る御殿
・垂直にそびえ立つ切込接ぎの石垣と何度も折れ曲がる旧本丸の虎口
・城下町に点在し飫肥藩の歴史や繫栄を伝える旧藩校 振徳堂、旧山本猪平家、商家資料館
ウェブサイト:飫肥城下町保存会|宮崎健日南市の飫肥城下町のウェブサイト

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