静岡県浜松市の光明城です。
1528年~1532年の間には朝比奈時茂により築かれた山城です。
1570年~1573年には武田氏の属城として城番が置かれ、朝比奈又太郎が在城していた時に犬居城主の天野景貫と戦ったとされています。
1575年に徳川家康の家臣である、本多忠勝と榊原康政により攻略され、二俣城主の大久保忠世の管理下となり城番が置かれました。
その後、武田氏が滅亡した後に廃城となりました。
現在では、標高539mの光明山山頂付近に曲輪跡が残されており、江戸時代に建てられた山岳寺院の石垣が残されています。
光明城・基本情報、アクセス
所在地:〒431-3301 静岡県浜松市天竜区横川
城 主:朝比奈氏
形 式:山城
文化財史跡:なし
日本100名城スタンプ場所:該当なし
光明城・駐車場
光明城の入口付近に専用駐車場があります。
10台程駐められる無料駐車場です。
光明山の麓から林道をひたすら車で上って行くことになるのですが、道路に落ち葉や枝が落ちているので、注意が必要です。
光明山寺院絵図
光明山は717年に高僧行基が開いた、明鏡山光明寺より発展したとされています。
昭和6年に発生した火災が起こるまでは、建物が残されていたようです。
光明山に寺院が建てられていた頃はこのような光景だったのでしょうか。
本堂や鐘楼、仁王門、茶屋まであり、まるで天空の寺院です。
現在は石垣跡が残されているのみとなっています。
光明城・曲輪跡
石垣
駐車場から3分程歩いて行くと石垣が見えてきます。
草木の間に高さ2~3m程の立派な石垣が築かれていて、気分が高揚します。
現在光明城跡に残されている石垣は、お城が機能していた戦国時代に築かれたものではなく、寺院が築かれた時に積まれたものです。
当時の寺院は段々に平地が造られていて、本堂や仁王門などの建築物が建てられていたようです。
階段が現在でも残されていて、両側には石垣が築かれ残されています。
石垣の高さは2~3m程もあり、迫力があります。
こちらの石垣はお城の石垣のように折れがあるのが特徴的です。
横矢が掛けられるようになっていて、そのままお城の防御機構として利用できそうです。
横に目地が通っていてかなり綺麗に積まれている事が分ります。
奥に行くと長大な石垣が築かれています。
10m程に渡って石垣が築かれていて、壮大です。
隅部もやや算木積みのようになっているのが良いです。
案内板近くの石垣は規模が大きいです。
櫓台の様な形をしていて、積み石も一つひとつが大きく迫力があります。
夏場は草が生い茂っているので、草が枯れる冬場に見るのが良いと思います。
景色
光明城からは周囲の山々を見る事ができます。
標高が539mもあるのでかなり高所で、眺望が良く爽快です。
夏の時期は一面、緑です。
最後に
光明城はお城の遺構はほとんどありませんが、山岳寺院の石垣が良好に残されていて見どころです。
山頂付近に壮大な石垣が築かれている様は一見の価値ありです。
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